『短歌は最強アイテム』 千葉 聡 著


タイトルを見て手にとってしまい、中をチラ見。

岩波ジュニア新書なので、なんとなく買いにくく、一度はパスした本。

後日購入し、読了しました。

帯に俵万智さん。「エッセイの中に、絶妙な短歌がある。生徒の中に、絶妙なちばさとがいる。」


ちばさととは、著者の千葉聡さん。高校教諭。国語担当。

なんとなく俵万智さんと経歴が似てますね。


 短歌は1300年以上も前から、多くの人々に力を与えてきた。神話の世界の神々も、貴族や武士も、名もない庶民も、みんな歌を詠んできた。歌があったからこそ生きる力をもてた、という人がどれだけたくさんいただろう。歌の力は現代でも通用するはずだ。

 俺は「短歌の人」だ。だから、今はまだまだ力不足でも、いずれ短歌の力を借りて、他の人たちのためにもがんばれるはずだ。今はまだ、何もできていないけれど。


これはまえがきの文章ですが、読み進めると他の人たちとは誰かが、すぐに分かります。


高校国語教師。

ですから、次のような和歌が登場します。


 白玉か

 何ぞと人の

 問ひし時

 露と答へて

 消えなましものを

      『伊勢物語』


実はこの本。古典を紹介する本ではありません。

俵万智さんが帯で紹介している通り、高校教師が書いたエッセイです。

まえがきに書いてあった「今はまだまだ力不足でも

こんな反省が、書かれています。


 いつもはやさしい担任なのに、ときどき、急にスイッチが入ったように強情になる。俺の心の中にある正義感スイッチを、生徒たちは敏感に感じ取っていたのだ。

 今なら分かる。正義感を振りかざすと本人は、わりとすっきりする。正しいことを正しく実行できた喜びを味わえる。だが、それに振り回される生徒は、たまわない。ときには俺の一方的な言い方が、生徒の心の柔らかい部分を損なうこともあっただろう。


 「正しいことばかり行ふは正しいか」少年問ふ真向ひてゐつ

       伊藤一彦『海号の歌』


 帰りのバスに揺られながら、今までの日々を思い返してみた。そうか。そういうことだったのか。どうもおかしいと思っていた。ようやく原因が分かった。

(略)

 みんな、ひどいよ、ひどいよ、とつぶやきながらバスを降りた。まわりに人がいなかったら泣いてしまいそうだった。交差点に出て、街の明かりに照らされる。少し落ち着こうと、近くのカフェに入った。

(略)


 会ふという愛 (かな) しきものを 草に会ふ書に会ふ まして人にし会ふは

       宮英子『海嶺』


 ひどいのは、生徒じゃない。俺のほうだ。何かおかしいと思っていたなら、俺のほうからもっと行動するべきだった。態度がクールすぎる子たち一人ひとりに頭を下げて、本心から「何かあったのなら教えてほしい」と言えばよかった。


挿入されている短歌。非常にいいですね。

真正面の論考より、奥行を与えてくれます。



アラフォーになっても自身を俺と呼ぶちばさとは、生徒たちに鍛えられ日々成長していきます。

この新書は、子供達の成長の記録というよりは、一高校教師の成長の記録なのかもしれませんね。